私が食や身体に疑問を持ったのは、幼少期からの体調不良がとても大きな原因です。
みんなは元気なのに、何で私はこんなにしんどいんだろう?
どうして身体がだるいのだろう?
ぼんやりと集中力に欠けるのは何でだろう?
どうしこんなにお腹が張るのだろう?
酷い肌荒れはどうやったら治るのだろう?
いっぱいいっぱい考えて、試行錯誤してきました。
ネットで調べれば沢山の情報があります。
自分に少しは合ったものもあったのですが、そうでないものも沢山あり、なかなかコレ!と言うものが見つけられませんでした。
あまりにも長く見つからないので、ある時から外側にやり方や正解を見つけるのを辞めました。
常識や当たり前にとらわれず、常に『これは本当なの?』『私はどうしたいの?』と疑問を持って考えるようになりました。
そして、自分で人体実験を繰り返し、試行錯誤しながら、合う食材をを見つけたり、快適に過ごせるセルフケア方法、安心できる在り方や考え方を見つけていきました。それが自分にとっての正解になりました。
『自分には答えがわからない』と、外側に求めていたときには分からなかったのに、『自分に正解がある』と分かってからは、どんどん合ったものが見つかるようになりました。
これは食事のこと、肌のこと、仕事のこと、人間関係のこと全てに当てはまります。
その時から私は、常に世界に対して疑問を持ち、『問いを持つ』と言うことを意識しています。
常識とされることでも、自分に合わないことはたくさんあります。
理不尽なこと、やりきれない事、不安なことなど、特に負の感情が起こることは注意しています。
それは本当なのだろうか?
その選択肢しか無いのだろうか?
私はどうだったら嬉しいだろうか?
どうなると安心するだろうか?
必ず私にとって安心したり、希望となる選択肢や、やり方、アイデアを求めます。
それが私にとって『問いを持つ』と言うことです。
自分には正解がわからないから、必死に外側に探すという『無い状態』ではなく、自分には答えが分かるという『ある状態』での問いです。
『○○について教えてください。』『○○についてアイデアをください』と必ず投げかけておきます。
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そうすると、何かしらで答えが返ってくるのです。
問いを投げて、すぐアイデアとして閃くことも多いですし、しばらく経ってから返ってくることもあります。
分からない時は何度も投げることもあります。
私に多いのは、ネット検索している時にたまたま見つけたページに答えがあることです。
問いを投げるから答えが返ってきます。問いを投げないと答えもありません。
そして受け取ったアイデアは必ず実践して、自分に合うように試行錯誤します。
これが私の経験値として、血となり肉となっています。
だから、どんどん問いを投げるのをおすすめします。思いもよらないアイデアや、やり方が返ってきますよ。
狭くて苦しかった世界に希望が灯ります。
苦しいのは正解では無いんですよね。こうやって、自分で体験しながら世界を広げています。
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