面白いことに、頑張ったり、我慢してやっていた得意なことというのは、時と共にメッキが剥がれてきます。
物理的に体力が続かなくなったり、イライラしたり、これじゃないというのが、ハッキリと分かってくるんです。
そうやって積み上げて作り上げた得意なことは、好きでもないからいずれ続けられなくなります。
自分の中から我慢を排除して、自分の本音が分かるようになると、それがより顕著になってきます。
私は昔接客業をしていたので、人がどう動くかというのが手に取るように分かりました。
それが別の仕事でも役立ち、先回りして準備できることがたくさんあったのです。
なので、私はこれが自分の好きで得意なことだと思っていました。
新しい仕事でも認められ始めて、たくさんの仕事を任されました。それが嬉しくて精一杯頑張っていました。
でも、何年も経ってくると、段々と体力的にもキツくなり始めました。そして、人の動きがよく分かる分、人のフォローに周ったり、責任を負ったりと、段々と疲弊するようになったのです。
結局はそれが辛くなり、自分に課していた我慢や頑張りを1つずつ辞めていきました。
我慢や頑張りを1つずつ外して、外して、最終的に出てきたのは、『私はもう人に気を使いたくない』という本音でした。
人をサポートすることは得意なことではあったのですが、その仕事の形でするのは自分の本当にやりたい事では無かったのです。
そこから私は自分の本当に好きなこと、やりたい事に立ち返って考えるようになりました。
得意であり、好きなことを仕事にしよう!と決意しました。
ずっとやっていても苦にならない事、むしろ楽しいこと、追求できる事は何か、それを何度も何度も考えました。
得意なことは他人から指摘されても、それが自分にとって好きなことか、やりたいことかどうかは、自分でしか分かりません。
ましてや、自分が好きなことが本当に自分に合っているかは実際にやってみるしか分かる方法は無いのです。
なので、少しでも好きなこと、気になることは片っ端からやってみました。
そしたら好きかどうか、向いているのか、やりたいのかが明確に分かります。
頭ではやりたいなと思っても、実際にやってみると思っていたのと違ったり、数日で嫌になったり、それほど興味が持てなかったり、そんなことはしょっちゅうです。
そうやって沢山試してみると、自分の中で経験が蓄積され、好きなことセンサーが磨かれました。最終的に好きなことに出会った時にも、自然と分かるようになったのです。
なかなか見つからないからと言って、それ程興味がない事を、無理して続けようとしない方がいいです。それはやりたく無いことをやっているのと一緒だからです。
自分の本音も分からない、経験もないのに、頭で考えたって何も見つかりません。
好きや嫌いは体感でしか分からないからです。やってみて身体で分かることなんです。
まず小さくても手を付けられるところから、少しでもやってみるだけで、分かることは沢山あります。